大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和56年(ワ)5021号 判決

原告 北見新二郎

被告 南部修

右訴訟代理人弁護士 池田雄亮

同 高橋秀夫

右訴訟復代理人弁護士 赤渕由紀彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、四九七〇万三八一三円及び内四六二〇万三八一三円に対する昭和五一年六月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五一年六月二二日午前九時四五分ころ

(二) 場所 札幌市西区山の手一条七丁目道々西野白石線路上

(三) 加害車両 普通乗用自動車(札五五ろ三四〇〇号。以下、「被告車」という。)

右運転者 被告

(四) 被害車両 普通乗用自動車(札五五い三九一二号。以下、「原告車」という。)

右運転者 原告

(五) 態様 被告車が原告車に追突した。(以下「本件事故」という。)

2  被告の責任原因

被告は、被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき本件事故により原告の被った損害を賠償する責任がある。

3  原告の受傷及び後遺障害

(一) 原告は、本件事故により、頸部捻挫、右肩捻挫、変形性脊椎症、第四・五腰椎不安定症の傷害を負い、次のとおり入通院治療を余儀なくされた。

(1) 桑園中央病院

昭和五一年六月二九日から同年七月一〇日まで通院(内通院実日数八日)

(2) いとう整形外科病院

昭和五一年七月一二日から同年一〇月三一日まで一一二日間入院

昭和五一年一一月一日から同五二年七月二七日まで通院(内通院実日数一九四日)

(3) 札幌医科大学附属病院

昭和五一年一二月九日から同五二年七月二七日まで通院(内通院実日数二二日)

(4) 勤医協札幌病院、同中央病院

昭和五二年七月二八日から同八月一五日まで通院

昭和五二年八月一六日から同五三年五月三一日まで二七一日間入院

昭和五三年六月一日から同年八月一七日まで通院(前後合わせて内通院実日数合計一〇〇日)

(二) 原告は、右入通院治療にもかかわらず、現在次のとおりの後遺障害を残しており、少なくとも自動車損害賠償保障法施行令二条後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)七級に該当する。

(1) 脳機能の低下 等級表七級四号に該当

(2) 頭痛、耳鳴り、不眠等の強度の神経障害 等級表九級一〇号に該当

(3) 頸部、肩の筋硬直 等級表九級一〇号に該当

(4) 両大後頭神経痛、両肩甲上神経部に圧痛 等級表一二級一二号に該当

(5) 左肩外転時疼痛 等級表九級一〇号に該当

(6) 視力低下(裸眼視力は事故前の左〇・二、右〇・一から事故後左〇・〇二、右〇・〇三。矯正視力は左右ともに〇・三。)等級表九級一号に該当

近方視不能 等級表一一級一号に該当

(7) 頸椎骨軟骨症、変形性脊椎症、左根性坐骨神経痛 等級表一一級一号に該当

(三) 原告は、本件事故の約四か月前の昭和五一年二月一〇日に原告の運転する車両を藤田嘉利の運転する車両に追突され受傷したことがあるが、軽微な受傷で後遺障害を残すようなものではなかった。原告は、本件事故当時、前事故による受傷については完治に近づいており、ハイヤーの運転手として通常の状態で勤務に就いていた。

これにひきかえ、原告は、本件事故によりかなり強い衝撃を受けた。

4  原告の損害

(一) 入通院雑費      三六万円

原告は、本件事故により、前記のとおり合計三八四日間の入院及び合計実日数三二四日間の通院を余儀なくされ、その間、少なくとも、入院につき一日当たり六〇〇円、通院につき一日当たり四〇〇円の割合による雑費を支出し、合計三六万円(384×600+324×400=360,000)の損害を被った。

(二) 休業損害  七四〇万九〇四六円

原告は、本件事故当時は、北海道交通株式会社(以下「北海道交通」という。)のハイヤーの運転手として勤務し、給与として月額平均二四万一七五五円、賞与として夏季分一二万八八二〇円、冬季分二四万七四七八円、燃料手当として八万円(ただし、昭和五二年分から八万一〇〇〇円)を得ていたが、本件事故により昭和五一年六月二九日から同五三年八月一七日までの七八〇日間の休業を余儀なくされた。そのため、原告は、その間の給与、昭和五一年から同五三年までの三回分の夏季賞与、昭和五一年、同五二年の二回分の冬季賞与、昭和五一年から同五三年までの三回の燃料手当を得られず、合計七四〇万九〇四六円(241,755×780/30+128,820×3+247,478×2+80,000+81,000×2=7,409,046)の休業損害を被った。

(三) 逸失利益 三四六四万四七六四円

原告は、前記のとおり、本件事故当時平均年収として三三五万八三五八円(241,755×12+128,820+247,478+81,000=3,358,358)を得ていたが、前記後遺症により労働能力の五六パーセントを喪失したところ、本件事故にあわなければ症状固定時の三六歳から六七歳まで三一年間働くことができたはずであったから、年五分の割合による中間利息を控除して後遺症による逸失利益の症状固定時の現価を求めると合計三四六四万四七六四円(3,358,358×0.56×18.4214=34,644,764)となる。

(四) 慰藉料

(1) 入通院分      二二〇万円

原告は、本件事故により、二年余りもの長期にわたり入通院治療を余儀なくされ、ハイヤーの運転手の業務に就くことができなかったために職を失い、原告の家族の経済的生活は極めて困窮し、更にこれが主たる原因となって離婚のやむなきに至り、平穏な家庭生活が破壊されるまでに至った。これらの事情を勘案すると、入通院慰藉料として、二二〇万円が相当である。

(2) 後遺症分      八〇〇万円

原告は、前記のとおり後遺症を残し、更に右後遺症に付随して眼痛、眼精疲労、記憶力減退、勃起不能、手足のしびれ、つっぱり等の症状があり、これが原因となり極度の不安、不眠等をきたし正常な日常生活を送ることができない。更に、原告は、前記後遺症のひとつである視力低下、複視により従前の運転業務に従事することもできず、また原告が有していた通信回路保守業務工事の技術も全く生かすことができず、大幅に職種も制限され未だに就職できない状態である。かかる後遺症による精神的苦痛に対する慰藉料としては八〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用     三五〇万円

原告は、本件訴訟の提起に先立ち、弁護士森越博史、同藤原栄二、同森越清彦に、その後弁護士中山信一郎、同坂本彰に本件訴訟の遂行を委任し、その後同弁護士らを解任したが、同弁護士らとの間で、着手金、報酬をあわせ三五〇万円を第一審勝訴判決時に支払うことを約しているので、同額の損害を被った。

(六) 損害の填補

原告は、損害の填補として、自動車損害賠償責任保険から二二四万円、被告車の加入する任意保険から四一七万円の支払を受けた。

(七) 損害額

以上(一)ないし(五)の損害合計額から(六)の填補額を控除すると四九七〇万三八一三円となる。

5  結論

よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき四九七〇万三八一三円及び弁護士費用を除いた内四六二〇万三八一三円に対する本件事故発生の日である昭和五一年六月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否並びに主張

1  請求原因1、2の各事実は認める。

同3の(一)の事実のうち、原告がその主張のとおり入通院したことは認め、本件事故により変形性脊椎症の傷害を受けたとの事実は否認し、その余の事実は不知。同(二)の事実は不知。同(三)の事実は否認する。

同4の(一)ないし(七)のうち、原告がハイヤーの運転手であったことは認め、その余の事実は不知。

2  原告の受傷及び後遺障害について

(一) 受傷と本件事故との因果関係

変形性脊椎症は、加齢による脊椎の変形に基づくものであるから、本件事故と因果関係がない。

(二) 症状と心因的要素との関係

(1) 原告主張の勤医協札幌病院における入院治療のうち、昭和五二年一二月二三日から昭和五三年四月一七日までの入院治療は、気管支喘息、神経衰弱によるものであって、本件事故とは因果関係がない。

原告主張の病院における入通院治療は、原告の意に沿う診断、治療をしてくれないことへの不満により、転医と治療の継続が行われているものであるから、本件事故による原告の受傷の程度とは直ちに結びつくものとはいえない。

原告主張の神経症状にはいずれも他覚的所見がなく、もっぱら原告の心因的要素により発現しているものであり、又、原告が昭和五六年一〇月ころに発病した左中大脳動脈循環不全によるものも含まれている。

(2) したがって、原告主張の症状には、原告の心因的要素が強く寄与しているものといえる。

(三) 症状と前事故との関係

(1) 原告は、本件事故の約四か月前の昭和五一年二月二〇日にも札幌市豊平区において、原告の運転する車両を藤田嘉利の運転する車両に追突されて頸部捻挫の傷害を受け(以下、「前事故」という。)、本件事故当時治療の継続中であった。

(2) 本件追突事故は、被告車が停止する直前の原告車との接触事故であって、接触の衝撃も軽度で、重大な人身事故を惹起せしめるような事故ではない。

本件事故により、被告車は、フォグランプ、フロントグリルが破損した程度で、バンパーには殆ど損傷がなく、原告車は、バンパーが凹みテールランプとモールが破損した程度であった。

原告は、本件事故後約一週間を経過した昭和五一年六月二九日から通院治療を始めている。

(3) したがって、原告主張の後遺障害は四か月前の前事故によるものか、又は前事故と本件事故とが複合した結果によるものである。

三  被告の抗弁

1  過失相殺

本件事故現場は、ほぼ東南から西北に走る歩車道の区別のある車道幅員一三メートルの道道西野白石線と東北から西南に走る道路とがほぼ直角に交差する十字路交差点である。

原告は、原告車を運転して道道西野白石線を東南から西北に向けて時速約四〇キロメートルの速度で進行していたが、本件交差点の手前約一二メートルの地点にさしかかった際、対向車線の歩道上で手を挙げて乗車の合図をした客を発見し、その客を乗せるために転回しようとして、後続車両の有無及び動静を確認することなく急制動措置をとった。

一方、被告は、被告車を運転して道道西野白石線を時速約四〇キロメートルの速度で原告車の後方約一〇メートルの地点を走行していたが、原告が急制動の措置をとったことから、追突を避けるために急制動の措置をとり約一〇メートルの距離をスリップし停止直前の状態で被告車の前部を原告車の後部に接触させた。

したがって、本件事故発生は、原告が、原告車を急停止するに際し、後続車両の有無及び動静を確認すべき注意義務があるのにこれを怠った過失が重大な原因をなしているものであるから、原告の損害の算定にあたっては原告の右過失を斟酌すべきである。

2  損害の填補

原告は、自賠責保険から原告の自認する二二四万円のほか、治療費として一〇〇万円の支払を受け、又被告車が加入する任意保険から治療費として六一二万四八五三円、休業損害として五〇九万六九七八円、看護料として一万八〇〇〇円、入院雑費として八万五六〇〇円の合計一一三二万五四三一円(原告が自認する填補額四一七万円を含む。)の支払いを受けており、填補額の合計は一四五六万五四三一円となる。

四  抗弁に対する原告の認否並びに主張

1  抗弁1のうち、原告が対向車線の歩道上にいた客を乗せるために右折転回しようとして交差点手前で停止したことは認め、その余の事実は否認する。

同2の事実のうち、原告の自認する部分を除き、その余の事実を否認する。

2  過失相殺について

原告は、原告車を運転して道道西野白石線を東南から西北に向けて走行し、本件事故現場の交差点の約五〇メートル手前から右折灯を点滅させ、徐々に減速をしながら交差点にさしかかったところ、被告は、被告車を運転し、原告車の後方約四一・四メートルの地点を同方向に向けて進行し、前方を走行する原告車の制動灯の点灯するのを約三五メートル前方に確認しているのであるから、本件追突事故を回避しうる状態にあったものである。

したがって、本件事故の発生については、原告に過失はない。

第三当事者の提出、援用した証拠《省略》

理由

第一事故の発生、被告の責任原因

請求原因第1項の事実(事故の発生)及び同第2項の事実(被告の責任原因)は、いずれも当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告は自賠法三条の規定に基づき、本件事故によって原告の被った損害を賠償すべき責任を負うものというべきである。

第二原告の受傷及び後遺障害

一  受傷の部位、程度、症状及び治療経過

1  《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができ、以下の認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告は、本件事故当日、被告とともに本件事故を単に物損として警察に届け出たが、本件事故から七日後の昭和五一年六月二九日、被告に痛みを訴え、被告を伴って桑園中央病院に赴いた。そして原告は、同日から同年七月一〇日までの一二日間(通院実日数八日)桑園中央病院に通院し、治療を受けた(ただし、原告が右期間同病院で通院治療を受けたことは当事者間に争いがない。)。桑園中央病院医師松井繁作成の昭和五一年九月一七日付診断書には、原告の病名及び態様として、「頸椎捻挫。頸部痛、右傍脊柱部の圧痛。頸椎の可動性は正常、上肢反射正常。左手に痛覚鈍麻がある。手指の力は正常。七月八日、第六、七、八頸神経領域の痛・触覚鈍麻がある。」という趣旨の記載がある。

(二) 原告は、昭和五一年七月一二日から同年一〇月三一日までいとう整形外科病院に入院して治療を受け、退院後も同年一一月一日から昭和五二年七月二七日まで(通院実日数一九四日)同病院に通院して治療を受けた(ただし、原告が右期間同病院で入通院治療を受けたことは当事者間に争いがない。)。

同病院医師伊藤孝の昭和五二年二月二六日付診断書には、「頸部捻挫。頸椎変形なし。運動障害軽度にあり。運動痛あり。第五、六、七頸椎傍脊柱項部に圧痛あり。両側胸乳様筋部、上腕神経叢部に圧痛あり。前腕手部に知覚障害を認める。両側棘上筋部に圧痛あり。左肩部痛及び圧痛あり。」という記載がある。

(三) 原告は、昭和五一年一二月九日から同五二年七月二七日まで(通院実日数二二日)札幌医科大学附属病院整形外科、脳神経外科に通院して治療を受けた(ただし、原告が右期間同病院で通院治療を受けたことは当事者間に争いがない。)。

同病院整形外科医師北村清の作成の昭和五二年八月一八日付診断書及び同病院整形外科医師押切良一作成の昭和五五年四月一五日付診断書には、それぞれ病名として変形性脊椎症、第四、五腰椎不安定症との記載があるが、北村清医師作成の右診断書には、「整形外科的には変形性脊椎症、第四、五腰椎不安定症の所見を認めるが、特別な治療を要せず、脳外科受診を勧めた。」との記載があり、変形性脊椎症、第四、五腰椎不安定症は治療の対象になっていないとしている。

(四) 原告は、昭和五二年七月二二日から同年八月一五日まで勤医協札幌病院に通院し、同月一六日から同年一一月二五日まで同病院に入院し、右同日から同年一二月五日まで勤医協中央病院に入院し、退院後同月二三日まで同病院に(通院実日数一八日)通院し、右同日から昭和五三年四月一七日まで再び勤医協札幌病院に入院し、右同日から同年五月三一日まで再び勤医協中央病院に入院し、退院後同年八月一七日まで(通院実日数六七日)同病院に通院した(ただし、原告が右期間同病院で入通院治療を受けたことは当事者間に争いがない。)。

勤医協中央病院医師高畑直司作成の昭和五三年八月一七日付自賠責保険後遺障害診断書には、「傷病名『頸部捻挫後遺症、左肩捻挫後遺症』。主訴又は自覚症状『頸部痛、頭痛、左肩の運動痛、視力障害』。他覚症状及び検査結果『両大後頭神経部の圧痛、両肩甲上神経部の圧痛あり、左肩は外転時疼痛あり』。障害『左肩の運動時痛あり、左上肢の挙上を伴う仕事は不自由と思われる』。予後の所見『症状固定と考える』。」という記載がある。

同医師作成の昭和五五年九月一九日付自賠責保険後遺障害診断書には、「傷病名『頸部捻挫後遺症、左肩捻挫後遺症』。主訴又は自覚症状『後頭部痛、頸部痛、眼痛、左肩の自発痛及び運動痛、背部痛』。他覚症状及び検査結果『頸部の運動制限と運動痛あり、両大後頭部神経、両肩甲上神経部の圧痛を認む。左肩の挙上制限、特に九〇度~一二〇度外転時の痛み著明。頸椎レ線像では特に異常は認めない』。障害『集中力を要する仕事は困難と考える。又左肩を動かす仕事も困難。軽作業程度。』。予後の所見『昭和五三年八月一七日症状固定であり、機能回復の見込みはない。』。」との記載がある。

同医師作成の昭和五六年二月一四日付入院証明書には、昭和五二年一二月二三日の勤医協札幌病院への二回目の入院については、原告が神経衰弱、気管支喘息などを併発したので、内科的治療を施すために入院した旨の記載がある。

(五) 以上の治療とは別に、原告は、昭和五二年八月九日から昭和五三年七月二二日まで(通院実日数三〇日)札幌医科大学附属病院神経精神科にも通院し治療を受けた。

同病院医師三浦弥作成の同年七月二二日付自賠責保険後遺障害診断書には、「傷病名『交通外傷後遺症』。主訴又は自覚症状『頭痛、耳鳴、強度の不眠、気分変動、全身倦怠感、易疲労感が強い。その他、他科的症状を多彩に呈している。』。他覚症状及び検査結果『脳波検査では、アルファ波の出現が乏しく低振幅徐波を軽度混入、速波優性脳波を示し、律動異常は認めないが、全体として脳機能の低下を認める』。障害『精神的恐怖、不安、気分変動を認め、強度の不眠を呈している。精神病的症状は認めず、精神医学的には外傷神経症といえる症状を呈している。症状の基礎には外傷後の脳機能の低下があり、症状の遷延、固定化となっている』。事故との関連及び予後の所見『交通外傷後の精神症状及び脳障害は現在固定的であり、事故に起因する症状であることを認める。昭和五三年七月二二日症状固定』。」という趣旨の記載がある。

また、札幌医科大学附属病院円山分院神経精神科医師山家研司作成の昭和五五年四月一七日付自賠責保険後遺障害診断書及び診断書にもほぼ同様の記載があり、症状は昭和五三年七月当時と同様であり、回復の見込みは今のところ困難であると診断されている。同医師作成の昭和五八年一一月八日付診断書には、「診断名『神経症』。交通外傷により不眠、頭痛、耳鳴発現。現在の状態像には、外傷以後の生活史の中で精神的ストレスによる不安、焦躁感等の精神症状が加わっている。」との記載がある。

(六) 原告は、昭和五二年八月二四日から昭和五三年八月八日まで(治療実日数九日)勤医協札幌病院眼科でも治療を受けた。原告は、初診時、目の疲れを訴えていたが、非常に軽微なもので、診察の結果、軽い外斜位(正常の範囲内)が認められたのみであり、矯正視力も一・〇から一・五の間を変動していた。原告は、昭和五三年ころから強く症状を訴えるようになり、視力の低下も見られるようになった。同年四月一三日、二か月ほど前から目の中が激しく痛むと訴え、検査を行った結果、眼球そのものには異常は認められなかった。その後原告は、昭和五七年六月一〇日までおよそ月一回の割合で受診しているが、同様の症状を訴え続けている。

同病院医師丸岡晴樹作成の昭和五三年八月一〇日付自賠責保険後遺障害診断書には、「傷病名『幅輻麻痺及び調節不全』。主訴又は自覚症状『複視、視力低下、眼痛』。他覚症状及び検査結果『視力低下、右一・〇×gl→〇・四~〇・六×マイナス三・五D、左一・二×gl→〇・四~〇・六×マイナス三・五D、安定せず、前眼部及び中間透光体及び眼底異常なし、輻輳麻痺(近方視で複視存在)のため近方視不能』。障害『視力裸眼左〇・〇三、右〇・〇二、矯正左〇・四~〇・六、右〇・四~〇・六近点延長一定せず』。」との記載がある。そして右記載中、右一・〇、左一・二というのは矯正視力であるが、原告の場合は日常生活上それを継続することが困難であって、実用視力としては〇・四~〇・六という意味である。

同医師作成の昭和五五年九月二四日付自賠責保険後遺障害症状診断書にもほぼ同様の記載があり、昭和五三年八月八日の時点の症状から変化なく、昭和五三年八月八日に症状固定であると診断されている。

札幌医科大学附属病院眼科医師中川喬作成の昭和五五年四月一六日付診断書にも、昭和五三年八月一〇日丸岡晴樹医師診断時点とほぼ同程度の症状である旨の記載がある。

丸岡医師作成の昭和五七年六月一〇日付診断書、中川医師作成の昭和五八年一一月二六日付診断書にもそれぞれ同様の記載があり、原告の症状は改善されていないと診断されている。中川医師作成の右診断書には、矯正視力〇・三(左右とも)は他覚的所見と一致しないが、電気生理的に視神経の反応が低下しているため、視力の低下は予想される旨の記載がある。

もっとも、原告は、普通自動車、自動二輪車、普通自動車第二種の各免許を交付されていたが、更新期間内に免許証の更新をしなかったため昭和五六年一月二日失効し、その後、特別申請により適正検査を受け、片眼それぞれ〇・五以上、両眼で〇・八以上を要求される普通自動車第二種免許の合格基準に達して合格していること、丸岡医師作成の前記診断書に矯正視力が〇・四~〇・六という形で記載されているのは、検査において原告が答えるところに従えば〇・四であるが、客観的にはそれほど見えないはずはないと判断されたためにそのように記載されたものであることなどから、原告の症状の訴えには他覚的所見と一致しないものがある。しかし他方、前記のとおり、中川医師作成の昭和五八年一一月一六日付診断書にも記載してあるように、矯正視力は他覚的所見と一致しないが、電気生理的に視神経の反応が低下しているため、視力低下は予想されるし、むちうち症候群では眼科的な症状が出てくることが多く、目が疲れる、かすんでくる、物が二つに見えるというのは一般的な症状である。

(七) 原告は、昭和五六年一〇月二七日に大塚脳神経外科医院でも治療を受け、同月二八日から同年一二月一三日まで同病院に入院し、その後昭和五八年四月一二日まで通院治療を続けている。同医院における原告の初診時の所見は、軽度意識障害、言語障害、右半身の脱力感というものであり左中大脳脈循環不全の疑いが持たれた。その症状は脳血栓、脳血行不全による循環不全によって惹起される症状と似ていたが、精密検査の結果、CTスキャン、脳波及び脳血管撮影の各検査ともに正常範囲内であった。原告の臨床症状は脳血栓のリンドの型に似ていたけれども、脳自体に後遺症に類するような障害はなく、脳循環不全による症状とは認められなかった。同医院における治療の結果、意識障害、言語障害は改善され、右半身の脱力感もとれたが、初診時から一貫してあった頑固な頭痛及び頸部痛、視力障害、視力低下、頭がぼおっとする感じはなお持続しており、昭和五八年四月一二日の時点で症状は固定し、その時点でも就業は不可能と診断されている。

(八) 原告は、その後、身体障害者手帳の交付を受けるため、清和会札幌病院でも診察を受け、同年五月七日身体障害者手帳の交付を受けた。

同病院医師遠藤邦夫作成の昭和五九年五月一日付身体障害者診断書(意見書)には、「傷病名『脊髄損傷後遺症(腹部内臓、生殖器その他の機能障害)』。原因『高度の挫傷及び捻転(自動車の交通事故による)』。現症『腹部内臓その他の機能障害のため、社会での日常生活、活動が著しく制限されている。』。関節の運動『左肩関節、肢関節はいずれも正常の二分の一程度』。障害の程度は、身体障害者福祉法別表第五(第四等級)に該当するものと認める。」という趣旨の記載がある。

2  以上に認定した事実によれば、原告は、本件事故後、頸部捻挫、右肩捻挫の傷害について治療を受けたことを認めることができるが、変形性脊椎症、第四・五腰椎不安定症の障害についての治療を受けたものと認めるに足りず、その他これを認めるに足りる証拠はない。

又、先に認定した事実によれば、本件事故後における原告の症状としては、(1) 頭痛、耳鳴り、不眠、気分変動、全身倦怠感、易疲労感、(2) 頸部痛、左肩部痛、(3) 両大後神経痛、両肩甲上神経の圧痛、(4) 左肩外転時疼痛、(5) 視力障害(裸眼視力は左〇・〇三、右〇・〇二、矯正視力は左右ともに〇・四ないし〇・六)、近方視不能がみられる。これらの症状は、多種にわたっているが、先に認定した事実によれば、昭和五三年七月二二日に札幌医科大学附属病院神経精神科で、同年八月一〇日に勤医協札幌病院眼科で、同月一七日に勤医協中央病院でそれぞれの症状につき症状固定の診断を受けた時点でほぼ固定しており、それ以後は若干の変化はあるものの、基本的にはほぼ同様の症状が持続、慢性化して回復が見られず、後遺障害として持続していることが認められる。したがって、原告の症状固定日は全体的に見れば昭和五三年八月一七日と認めるのが相当である。又、その後遺障害の程度は、等級表第九級一〇号及び第一一級一号に該当し、併合等級第八級に該当するものと認めるのが相当である。

二  受傷と本件事故との因果関係

1  先に認定した本件事故の態様、事故後における治療経過、症状によれば、原告が本件事故により頸部捻挫、右肩捻挫、第四・第五腰椎不安定症の傷害を受けたものと認めることができる。

2  原告は、本件事故により、変形性脊椎症の傷害を受けたと主張するが、右傷害は主として加齢による脊椎の変形に基づくものと認めるのが相当であるところ、何ら特段の事情の認められない本件のもとにおいては、本件事故との相当因果関係を認めることは困難である。

三  症状と心因的要素との関係

1  以上認定した事実によれば原告の症状には、物理的、器質的な後遺障害を認めることは困難であって、札幌医科大学附属病院円山分院医師山家研司は、原告の現在の状態像には外傷以後の生活史の中での精神的ストレスによる不安、焦躁感等の精神症状が加わっていると診断しているなど、原告の症状には心因的要因が加わっているものと認めるのが相当である。

しかし、他方、先に認定した事実によれば、札幌医科大学附属病院神経精神科医師三浦弥は、原告の症状について、精神医学的には外傷神経症といえる症状を呈しており、症状の基礎には外傷後の脳機能低下があり、症状は事故に起因するものであることを認める旨の診断をしており、同病院円山分院医師山家研司も同様の診断をし、札幌医科大学附属病院眼科医師中川喬も原告の症状は外傷に起因すると考えられると診断している。

これらの事実によれば、原告の前記症状の発現には本件事故による受傷のほか、本件事故後の生活史の中でのさまざまなストレスによる精神的不安定、とりわけ本件事故をめぐる問題が解決されないことへの焦躁感などの心因的要因が強く影響していることを認めることができる。しかしながら、原告の前記症状が本件事故を契機として発現したことも明らかであり、いわゆるむちうち症による頸部捻挫を契機とし、そこに心因的要因が影響して症状が発現するということが必ずしも稀でないことも経験則上認めることができるから、原告の前記症状は、本件事故による受傷と心因的要素とが競合して発症したものと認めるのが相当である。

2  被告は、原告が昭和五二年一二月二三日から昭和五三年四月一七日まで勤医協札幌病院に入院したのは、神経衰弱、気管支喘息によるものであって本件事故による受傷とは無関係であると主張する。しかし、先に認定した事実によれば、被告は右のとおり入院したが、右入院は原告が神経衰弱、気管支喘息を併発したことによるものであることを認めることができる。したがって、右症状は本件受傷を契機に発症したものと推認されるから、右入院治療について本件事故による受傷との相当因果関係を否定することはできない。

被告は、原告の神経症状には大脳動脈循環不全によるものも含まれていると主張するが、右事実がなかったことは先に認定した大塚脳神経外科医院における治療経過から明らかである。

四  症状と前事故との関係

1  前事故の態様と受傷の部位について検討する。

(一) 《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができ、以下の認定に反する証拠はない。

(1) 原告は、昭和五一年二月二〇日午後零時五〇分ころ、ハイヤー運転手として勤務中、札幌市豊平区豊平三条二丁目交差点に赤信号で停止していた際、藤田嘉利運転の乗用自動車に追突された。

(2) 原告は、右事故により頸部捻挫の傷害を受け、昭和五一年二月二〇日から同年六月二九日まで一三一日間(内治療実日数七五日)古畑整形外科病院に通院し、その間、注射療法、消炎剤投与のほか、同年二月一八日から同年六月二九日まで理学療法を受けた。原告の症状は、頸部に変形がなく、当初、運動性も殆ど正常で、右項部、側頸部に軽度の圧痛がある程度で、上肢の腱反射も正常であったが、昭和五一年四月ころ右頸部より背部にかけての筋緊張、同五一年五月ころ右前腕の倦怠感、同五一年六月ころ肩の緊張感が生じるに至った。

(3) 原告は、本件事故当時も通院治療中であったが、運転業務にはほとんど通常どおり従事していた。

(二) 右認定の事実によれば、原告は、昭和五一年二月一〇日に受傷した頸部捻挫が軽快しつつあったもののなお治療を要する状態にあった同年六月二二日に本件事故に遭遇したものと認められる。

2  本件事故の態様について判断する。

(一) 《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(1) 本件事故現場は、ほぼ東南から西北に走る歩車道の区別ある車道幅員一三メートルの片側二車線の道道西野白石線と東北から西南に走る道路とがほぼ直角に交差する信号機の設置されている十字路交差点である。本件事故現場付近は、交通ひんぱんな市街地であり、制限最高速度は時速四〇キロメートルである。

原告は、原告車を運転して中央寄り車線を東南から西北に向けて時速約四〇キロメートルの速度で進行し、交差点の手前にさしかかった際、対向車線の横断歩道脇で女性客が手を挙げて乗車の合図をしているのを発見して右折しようとしたが、原告車の前方に右折のため交差点内に入っていた車両があったため、交差点の手前に右折のため停止しようとし交差点の手前約一二メートルの地点でブレーキをかけ、横断歩道付近に停止した。

一方、被告は、被告車を時速約四〇ないし四五キロメートルの速度で走行させ、原告車の直後に追随していたところ、原告が前記のとおり右交差点の手前で停止しようとして原告車の制動灯が点灯したのを約三五メートル前方に認め、左にハンドルを切って歩道寄りの車線に出ようとしたが、歩道寄りの車線にも直進中の車両が二台あったために左にハンドルを切ることができず、原告車との車間距離が約一二・五メートルとなった地点で原告車との追突を避けようとして急ブレーキをかけたもののスリップして間に合わずに被告車を原告車に追突させた。事故当時一〇メートル前後のスリップ痕が残されていた。

(2) 本件事故により、被告車はフォグランプ、フロントグリルが破損した程度で、バンパーには殆ど損傷がなく、原告車はバンパーが凹み、テールランプとモールが破損した程度であった。

(二) 右認定事実によれば、本件事故は被告車が停止する直前の追突事故であって、その衝撃はそれほど強度のものであったものと認めることはできない。

3  以上認定した事実によれば、原告は、前事故により頸部捻挫の傷害を受け、その治療中にさらに本件事故に遭い、頸部捻挫、右肩捻挫の傷害の結果をみるに至ったものであるから、原告の前記症状は前事故と本件事故との競合により発症しているものと認めることができる。

五  まとめ

以上の理由により、原告の症状には、本件事故による傷害のほか、前事故による前記傷害と原告の前記心因的要素が加わって増悪化し、さらに密度の高く、より長期にわたる治療を要する状態に至ったものと認められるから、先に認定したこれらの事情を斟酌し、本件事故の起因力を五〇パーセントと評価し、その限度において損害賠償を認めるのが相当である。

第三原告の損害

一  入通院雑費

原告が、本件事故による傷害のため、症状固定日である昭和五三年八月一七日までに合計三八三日間入院し、合計実日数三二四日間の通院をしたことは前記認定のとおりである。

そして、入院期間については一日あたり六〇〇円を、通院については一日あたり四〇〇円を下らない雑費を要したことを推認することができ、右推認を覆すに足りる証拠はないから、原告は入院雑費として合計金二二万九八〇〇円、通院雑費として一二万九六〇〇円、合計三五万九四〇〇円の損害を被ったものというべきである。

二  休業損害

先に認定した原告の受傷、症状及び治療経過のほか、《証拠省略》を総合すると、原告は、本件事故当時、北海道交通に勤務し、ハイヤーの運転手として稼働していたが、本件事故による前記受傷のために昭和五一年六月二九日から昭和五三年八月一七日までの七八〇日間の休業を余儀なくされたこと、原告の給与は、基本給、能率給、住宅手当、通勤手当によって構成されていること、原告の事故前三か月の収入によって算定した一日当たりの平均収入は四九五四円となり、その後、北海道交通の給与の改定に伴い、右平均収入を基礎に原告の一日当たりの収入を算定すると、昭和五二年九月からは五六九〇円、昭和五三年四月からは六二二四円となること、昭和五一年四月から六月までの稼働によって得た運賃の額を基礎に、北海道交通の支払基準に従い、昭和五一年一二月の年末手当の額を算定すると二四万一七五五円となり、昭和五二年六月の夏季手当の額を算定すると一二万八八二〇円となり、昭和五二年一二月の年末手当の額を算定すると二四万七四七八円になり、昭和五三年六月の夏季手当の額を算定すると一四万五〇〇円となること、昭和五一年一一月一日から昭和五二年三月三一日までの五か月を基準とする燃料手当の支給額は八万円、昭和五二年一一月一日から昭和五三年三月三一日までの五か月を基準とする燃料手当の支給額は八万一〇〇〇円であったことが認められる。

右事実によれば、原告は、合計五二二万八八四三円(4,954×276+5,690×365+6,224×139+241,755+128,820+247,478+80,000+81,000=5,228,843)の休業損害を被ったものと認められる。

三  逸失利益

前記認定事実によれば、原告は症状固定から一〇年間その労働能力の四五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

右後遺障害による原告の逸失利益は、先に認定した原告の症状固定時前一年間の収入合計二五九万五一五八円を基礎に、ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して計算すると、八五八万七六八九円{2,595,158×0.45×(9.2151-1.8651)=8,587,689}となる。

四  慰藉料

1  入通院分

原告の傷害の内容、程度、入通院期間、通院実日数、治療経過等の諸事情に照らし、原告が本件事故によって被った傷害に対する慰藉料としては一五〇万円が相当である。

2  後遺障害分

前示の原告の後遺障害の内容、程度等に照らし、原告が本件事故によって被った後遺障害に対する慰藉料は四〇〇万円が相当である。

五  合計

以上認定の原告の損害の合計額は一九六七万五九三二円となるが、先に認定したとおり右損害の五〇パーセントに相当する九八三万七九六六円を被告に負担させるのが相当である。

第四過失相殺

先に認定した本件事故の態様によれば、本件事故の原因は、被告が原告車の制動灯の点灯を約三五メートル前方に認めながら、直ちに被告車に制動措置を講じることなく、同一速度で走行したまま歩道寄りの車線に出ようとしたことにあると認められ、本件事故発生について原告の過失を認めるのは相当ではなく、被告の過失相殺の主張は採用できない。

第五損害の填補

原告が自賠責保険から二二四万円、被告車の加入する任意保険から四一七万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、さらに保険金として、原告が入通院していた各医療機関に対して治療費合計七一二万四八五三円が支払われていること、原告に対して原告の自認する四一七万円の支払いを含め、休業補償として五〇九万六九七八円、看護料として一万八〇〇〇円、入院雑費として八万五六〇〇円が支払われていることが認められ(る。)《証拠判断省略》

右の支払いがなされた保険金のうち、治療費及び看護料については、原告は本訴において右費目の損害を請求していないが、前示のとおり原告が本件事故により入通院治療を受けた事実が認められるから、右各費用をいずれも被告に請求できるものと認められる。しかし、先に認定、判断したとおり、原告の全損害の五〇パーセントを減額するのが相当であり、減額に当たり原告が請求していない損害を除外すべき理由はないから、治療費及び看護料についても被告が賠償すべき損害額はその五〇パーセントであり、結局治療費及び看護料として支払いがなされた分についてはその五〇パーセントを損害の填補と認めるべきである。

したがって、損害の填補額の合計は一〇九九万四〇〇四円{2,240,000+5,096,978+85,600+0.5(7,124,853+18,000)=10,994,004}となり、先に認定した原告の損害額合計は九八三万七九六六円となるから、もはや原告から被告に対して請求できる損害額はないというほかはない。

第六弁護士費用

前記のとおり、被告が原告に対し賠償すべき損害はすべて填補されており、原告は本訴においてこれを請求することは許されないのであるから、本訴遂行のための弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害と認めることができない。

第七結論

以上によれば、原告の被告に対する本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福永政彦 裁判官 山本博 峯俊之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例